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FOOTBALL

2017.12.12【STAR+LINE vol.5】横山雅哲 「39歳でたどり着いたスタートライン」

横山雅哲

「プロサッカー選手になる」という幼いころからの夢を、39歳で叶えた選手がいる。Jリーグ加入前のFC岐阜など地域リーグのチームで研鑽を重ね、サッカーを始めて33年目の今季、モンゴル1部リーグのゴヨFCでプロサッカー選手としての一歩を踏み出した横山雅哲選手。シーズンを終え帰国した横山選手に、プロサッカー選手としてのスタートラインに立つまでの道のりと、その先に見据える景色について話を伺った。

 

 ***

 

憧れはキャプテン翼の石崎くん

持ち前のガッツで、夢を追い続けた33年

 

横山がサッカーを始めたのは7歳のとき。一大ブームを巻き起こしたサッカー漫画『キャプテン翼』がきっかけだった。「僕らの世代が一番タイムリーでしたね。毎日毎日砂場行っては、スカイラブ・ハリケーンを練習してましたね。若島津くんの三角飛びを真似てポストを蹴って、少年団の監督にどやされたり、何人か骨折した子もいましたよ」

上手い選手ではなかったそうだが、サッカーが楽しくて、一生懸命にボールを追いかけた。「『上手い』と言われてもあまりピンとこなくて、『ガッツがあるなあ』とか『気持ちが強いな』と言われるとうれしくて、がんばって走ってましたね。みんなが翼くんや日向くん、岬くんを目指している中で、僕が見ていたのは石崎くん。目指すところを間違えましたね(笑)。モンゴルでユニフォーム14番だったんですけど、石崎くんの背番号が14番。結構うれしかったんですよね」

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小学校の文集には、「サッカー選手になりたい」と記した。その夢は、中学、高校、専門学校、そして今も、33年間全く変わることはない。

高校大垣工業に入学した1993年には、Jリーグが開幕。「プロになりたい」という気持ちが高まると同時に、現実の厳しさも知った。高校では3年生の夏のインターハイ県予選には出られず、冬の選手権予選でレギュラーの座を獲得した。

専門学校時代はAチームのメンバーではあったが、2年間ずっとベンチを温め続けた。監督からも「プロになれるわけがない」と言われて帰郷。フォレスタ関で1シーズンを過ごした後、Jリーグ参入を目指していたヴァリエンテ富山で、アルバイトをしながら3年間プレーする。Jリーグチームのセレクションに参加し、最終選考に残ったこともあったが、プロの扉を開くには至らなかった。

それでもサッカーへの情熱を失うことはなかった。「やり続けることが僕のモットー。好きな言葉は我慢、精進、継続ですね。評価は人がするもの。自分を評価してくれる人に出会えるかどうかは分からない。出会うためには、とにかくやり続けるしかないんですよ」。

 

24歳のときに、当時県リーグに所属していたFC岐阜に入団。1年で東海リーグ2部に上がったが、元Jリーガーの選手が加入してきたこともあり、2年目からはポジションを失った。

今もFC岐阜のサポーターに “口論義の奇跡”と語り継がれる東海リーグ2部最終節。1部に昇格するためには7点差以上での勝利が必要な大一番に、横山はこのシーズン初めてスタメンで出場する。

前半からがむしゃらに走ると、6分サイドを駆け上がった横山がペナルティエリアに送ったクロスが相手のハンドを誘ってPKを獲得。これを西脇良平が決めて先制した。さらに32分には横山のCKを平岡直起がボレーで決めて、2点目をアシスト。FC岐阜の東海1部昇格に貢献した。しかしJリーグへの階段を颯爽と駆け登っていくチームを横目に、横山はプロの壁を超えることができなかった。

 

“走り始め続ける”オールドルーキー

 

「これでダメならサッカーをやめよう」。FC岐阜セカンド、コバルトーレ女川でプレーし、39歳になった今年3月、最後の挑戦と決めてモンゴルリーグのトライアウトに参加した。現地のプロチームの試合に5戦出場するも、途中でトライアウトの主催者が姿を消し、予定していた残り試合に参加できなくなった。

あきらめかけていたが、たまたま観に行ったゴヨFC(GOYO FC)でチームマネージャーから「サッカーできるか」と声をかけられ、負傷した選手の代役として出場することに。「劇的でしたね。人生が変わりました」。その時のプレーが評価されて、帰国する1週間前にプロ契約にこぎつけた。

プロとしての初戦。選手入場のとき、階段を上がるとじっと目を閉じ、しばらくその場に立ち尽くした。一礼して、ゆっくりとラインを踏み越えると、胸が熱くなった「プロになるのは無理だと、何百万回言われてきたか分からない。ラインを越えるとき、ものすごく大きな一歩だと感じました」。

ゴヨFCではセンターバックとしてチームをオーガナイズ。10チーム中7位となり1部残留に貢献した。

 

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“何度でも立ち止まって

また何度でも走り始めればいい

必要なのは走り続けることじゃない

走り始め続けることだ“

 

竹原ピストルの『オールドルーキー』が好きだと語る横山。歌詞に自分の姿を重ね、聴くたびに気持ちを奮い立たせてきた。

「自分にとっては、生きる=サッカーをすること。何回転んでも、立ち止まって、少し下がっても、やり続けたことがプロ契約できた一因だと思う。 一日でも、一時間でも長くプロとしてサッカーをしたい」

現時点では、来季どこでプレーするかは決まっていない。だがプロサッカー選手としての二歩目を踏み出すため、39歳で夢を叶えたオールドルーキーは走り始め続ける。

「想像できることは実現できると思うんです。プロになるという夢を実現できた今は、よりそれを実感できる。信じてやり続けることによって、今僕が思い描いている突拍子もないことも実現できると思うんです」

 

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※写真は全て本人提供
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取材・文/STAR+編集部

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