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2014.06.30【STAR+LINE vol.2】片桐淳至 「引退と新たなスタート」

 

岐阜工業高校出身でFC岐阜などで活躍した片桐淳至さんが現役引退を発表、これまでお世話になった方たちへ感謝の気持ちを伝えたいと、6月21日岐阜市の伊自良川サッカー場にて「感謝のふれあいサッカー教室」を開催した。
サッカー教室には岐阜市内の小学生約300人が参加、ヴァンフォーレ甲府時代から親交の深いハーフナー・マイク選手、藤田健さんも指導に加わり、新たな挑戦への第一歩をサポートした。

 

日本代表を育てたい

 

引退を決めたのは、6月上旬。誰にも相談せず、悩んだ末に「自分の気持ち」にしたがい、指導者の道へ進むことを決断した。その決意を示すように、「指導者をするには見た目も重要。清楚じゃなきゃね(笑)」と長かった髪をバッサリと切った。

指導者になりたいという思いは、FC岐阜でプレーしている頃から持ち続けていた。
「(当時のFC岐阜にいた)ベテランの方をはじめ、年上の人たちからいろいろと良いアドバイスをもらい、それを自分なりに解釈して、ここまでプロとしてがんばってこられた。そうした積み重ねを、今度は下の世代に伝えていくのが自分の役割かなと思う。指導者として成長し、地元のスターを育てたい」

現役の区切り、新たなるスタートラインに、引退試合ではなく、「ふれあいサッカー大会」という形を選んだのも、スポーツを通じて地元岐阜に恩返しをしたいという決意の表れだ。
「岐阜県の子どもたちが逞しく成長して、岐阜県から日本代表が生まれるといいなと思ったので企画しました。地域ごとのサッカーの質、プレーなどを見させてもらいましたが、みんな自分たちが小学生の頃より上手い。岐阜県のサッカーのレベルはもっともっと上がっていくと実感しました」

ハーフナーがゴールキーパーを務めたシュート練習やミニゲームで子どもたちを楽しませながら、トラップやキックの基本技術を丁寧に指導する片桐はすっかり指導者の顔になっていた。


 

あの日の約束を果たせなかったことが心残り

 

高校選手権で準優勝、得点王に輝いて以来、岐阜のサッカーファンの注目を集めてきた片桐が再び岐阜に戻って来たのは2006年。名古屋グランパス、FCホリコシなどを経て、当時Jリーグを目指し東海1部リーグに所属していたFC岐阜に加入した。生まれ育った岐阜にJリーグチームを、そして自らももう一度Jリーグの舞台で輝きたいと、同じく岐阜出身の森山泰行らとともにJFL、Jリーグ昇格に貢献、FC岐阜の歴史を築いてきた。片桐の代名詞、鋭いドリブル突破は「ドリブル劇場」と評され、何度となく長良川を沸かせた。

森山、小島宏美ら引退し“新生FC岐阜”として臨んだJリーグ2年目、シーズン途中サポーターに衝撃が走った。エース片桐の甲府への完全移籍が発表されたのだ。岐阜でのラストゲームとなった2009年6月14日の湘南ベルマーレ戦には、6607人のファン・サポーターが駆けつけ、ミスター岐阜との突然の別れを惜しんだ。

試合後行われたセレモニーで、岐阜の背番号10は、「一番下(地域リーグ)から、這い上がってきたサッカー選手として、さらに上のステージに辿りつけるように頑張りたい。結果を残して、最後は岐阜でまたプレーできればと思います」と「成長して戻ってくること」を誓い、飛び立っていった。

「自分が甲府に出て行く時に、地元に戻って来て成長した姿を見せたい、7000人弱のサポーターの方に『また戻ってきたい』って言ったんです。それを達成できなかったことに対しては自分の中で悔いが残っている。最後は地元でプレーしたかった」すこし寂しそうに片桐はそう明かした。

「現役生活は12年でしたが、長い間遠くからもご声援にきていただきありがとうございました。岐阜の人は温かいから、今も街ですれ違うと声をかけてくれるし、応援してくれるのもわかる。だから、そういう気持ちを背負って、次の世代につなげていきたいと思う。地元に尽くしていきたい、今はその一心です」

岐阜を愛し、岐阜に愛された地元のスターがピッチを去る。寂しさがないと言ったら嘘になるが、あの日と同じように、彼が育てる「地元のスター」が長良川を沸かせる日を心待ちにして、今は新たな旅立ちを見送りたい。

片桐淳至

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取材・文/STAR+編集部

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