2014.04.02【STAR+LINE vol.1】ラストチャンスを掴んだルーキー・阿部正紀
【機会が二度君のドアをノックすると考えるな】
岐阜県出身の作家、朝井リョウの小説『チア男子!!』にも引用されているフランスのモラリスト、シャンフォールの言葉だ。
「チャンスは2回まで」シーズン開幕前、ラモス瑠偉監督は選手たちにそう伝えていた。「チャンスは必ず全員に与える。プロとして常に準備を怠らないように」と。そして、「チャンスが来たら、あとは自分でアピールするだけ。若くてもプロなのだから」とも。
早くもめぐってきたチャンスをモノにした選手がいる。ルーキーの阿部正紀だ。多くのマスコミやサポーターの予想を裏切って開幕スタメンの座を掴んだ。
東京国際大学のキャプテンとして関東大学リーグ2部でチームを優勝に導いた阿部が、その実績を買われ、田口貴寛コーチの仲介のもとFC岐阜にやってきたのは1月末、当初は練習生の扱いだった。
「大学時代に得意としていた1対1の競り合いやマンマークが全然できずに、メンタル面で相当ヤラれました」
初めて参加した練習で、阿部はプロとの大きな差を感じていた。
2月5日から始まった大分別府キャンプは、FC岐阜入団をかけたテストの場だった。「自分が参加していいのか」と悩む程だったと振り返る。当時のセンターバックの序列では6人中6番手。首脳陣にこれといったアピールは出来ていなかった。
チャンスは突然やってきた
別府キャンプ最終日に行われた大分トリニータとの練習試合。午前中は若手中心のメンバーで、午後は主力同士の試合が行われた。阿部は、冷たい雨の中行われた午前中の試合にフル出場し、無失点に抑える。それでも、プロ契約の手応えは全く感じられないでいた。
若手組の試合が終わった1時間後に始まった主力組の試合。センターバックのポジションには深谷友基と木谷公亮が先発していた。「プロサッカー選手になりたい」小学生からの夢を諦めかけていた阿部のドアをチャンスが突然ノックしたのはその時だった。
試合開始数分後、深谷がピッチに倒れこみプレーの続行が不可能となる。この時、昨年のリーグ戦29試合に出場した新井辰也はキャンプ中のケガでグラウンドに来ておらず、6年目の田中秀人も午前中の試合でフル出場し宿舎に帰っていた。この緊急事態にラモス監督が選んだのは阿部だった。
「本当に最後の最後にチャンスが来た。とにかく自分のプレーをしっかり出そう。それでダメならこのチームにはいられない」
木谷と急遽センターバックのコンビを組んだ阿部は、木谷の出すラインの指示に慌てずに対応した。試合は1点を先制されるも後半に4得点をあげ逆転勝ち。合流当初は「プロとの差」に悩んでいた1対1の競り合いでも負けることなく、自身の持ち味を発揮した。そんな阿部の体を張ったプレーをラモス監督は絶賛、試合後の控室では選手たちの“阿部ちゃんコール“が鳴り響いた。それは、阿部がチームの一員になれた瞬間だった。
がけっぷちで、サッカーの神様は阿部にほほ笑んだ。もしチャンスを逃していたらどうしていたのか聞いてみた。
「先は決まっていなかったですね。社会人の1部で出来ればと思っていたんですけど…、でもサッカーをやめようかなとも思っていました」
阿部は開幕から5試合連続でフル出場。第2戦の富山戦ではプロ初アシストも記録している。
「自分はプロの中でも一番下手なので毎日の練習から成長していかないと、目標は1日1日頑張ることです」
ラストチャンスをつかみ、プロとしてのスタートラインに立った阿部。1日1日を全力で走り続けたその先、シーズンが終わる頃には、どんな場所にたどり着いているのだろうか。